2006年01月08日
和気 清麻呂
733(天平 5)
799(延暦18. 8.21)
◇奈良末期・平安初期の政治家。旧姓は磐梨別公、のち藤野別(和気)真人。備前国藤野郡の人。乎麻呂の子、広虫(ヒロムシ)の弟、広世(ヒロヨ)・真綱(マツナ)の父。
764(天平宝字 8. 9.11)孝謙上皇の寵愛を受ける道鏡を除こうとした藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱で、功を立てて藤野和気真人の姓を賜る。 767年、輔治能真人の姓を賜り、因幡員外介。
769(神護景雲 3)道鏡が宇佐八幡の神託と称して皇位を窺ったとき、藤原氏の勢力を背景に勅使として再度宇佐八幡の神託を受けてこれを退けたため、道鏡の怒りを買い、名を別部穢麻呂(ワケベノキタナマロ)と改め大隅に流される。
上皇が崩御して道鏡が失脚の後、 770年召還され光仁・桓武天皇に仕え信任を得る。 774(宝亀 5)朝臣の姓を賜る。平安遷都に尽力、従三位に昇進。
京都の護王(ゴオウ)神社に祀られる。
(*) 767(天平神護 3,神護景雲元)、 770(神護景雲 4,宝亀元)。
◎清麻呂の持ち帰った宇佐八幡の神託:わが国は開闢以来君臣定まりぬ。臣をもって君となすこといまだこれあらざるなり。天つ日嗣(ヒツギ)は必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしくはやく掃ひ除くべし。
◎道鏡事件の功で和気朝臣の姓が与えられた。
◎岡山県和気町の和気清麻呂や広虫などを祀(マツ)る和気神社の入口に朝倉文夫作の清麻呂の銅像がある。
◎太平洋戦争まで三大忠臣(和気清麻呂・名和長年<ナワ・ナガトシ>・楠木正成<クスノキ・マサシゲ>)の一人として軍部に利用された。
◎皇居竹橋近くの清麻呂公園に1940(昭和15)紀元二千六百年記念に建てられた立像がある。
◎江戸川柳:道鏡は座ると三つ膝ができ。
733(天平 5)
799(延暦18. 8.21)
◇奈良末期・平安初期の政治家。旧姓は磐梨別公、のち藤野別(和気)真人。備前国藤野郡の人。乎麻呂の子、広虫(ヒロムシ)の弟、広世(ヒロヨ)・真綱(マツナ)の父。
764(天平宝字 8. 9.11)孝謙上皇の寵愛を受ける道鏡を除こうとした藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱で、功を立てて藤野和気真人の姓を賜る。 767年、輔治能真人の姓を賜り、因幡員外介。
769(神護景雲 3)道鏡が宇佐八幡の神託と称して皇位を窺ったとき、藤原氏の勢力を背景に勅使として再度宇佐八幡の神託を受けてこれを退けたため、道鏡の怒りを買い、名を別部穢麻呂(ワケベノキタナマロ)と改め大隅に流される。
上皇が崩御して道鏡が失脚の後、 770年召還され光仁・桓武天皇に仕え信任を得る。 774(宝亀 5)朝臣の姓を賜る。平安遷都に尽力、従三位に昇進。
京都の護王(ゴオウ)神社に祀られる。
(*) 767(天平神護 3,神護景雲元)、 770(神護景雲 4,宝亀元)。
◎清麻呂の持ち帰った宇佐八幡の神託:わが国は開闢以来君臣定まりぬ。臣をもって君となすこといまだこれあらざるなり。天つ日嗣(ヒツギ)は必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしくはやく掃ひ除くべし。
◎道鏡事件の功で和気朝臣の姓が与えられた。
◎岡山県和気町の和気清麻呂や広虫などを祀(マツ)る和気神社の入口に朝倉文夫作の清麻呂の銅像がある。
◎太平洋戦争まで三大忠臣(和気清麻呂・名和長年<ナワ・ナガトシ>・楠木正成<クスノキ・マサシゲ>)の一人として軍部に利用された。
◎皇居竹橋近くの清麻呂公園に1940(昭和15)紀元二千六百年記念に建てられた立像がある。
◎江戸川柳:道鏡は座ると三つ膝ができ。