2006年01月08日
たあ しんきょう《たあ しんけう》
他阿 真教
1237(嘉禎 3)
1319(文保 3. 1.28)
◇鎌倉時代の時宗(ジシュウ)の僧・時宗第二祖(遊行派<ユギョウハ>の開祖)・歌人。俗姓は源氏、別名は心阿、法号は真教房蓮阿のち他阿弥陀仏(他阿)。京都の人。
はじめ浄土宗の僧であったが、1277(建治 3)一遍の門下となり、一遍に従って諸国を遊行。
1289(正応 2)師の没後も教化事業を継承して宗門をまとめ民衆を教化。兵庫(神戸市)の真光寺(シンコウジ)を大道場にし、京都(下京区)に金光寺(コンコウジ)、藤沢に無量寺など多くの寺院を建立、二祖遊行上人と呼ばれる。
1303年、相模の当麻金光院に道場を営み、智得に遊行を譲って同寺で死去。
和讃(ワサン)『往生讃』や『他阿上人法語』など法語・家集がある。
(*)1303(乾元 2,嘉元元)。
◎『絵詞伝』は前4巻が一遍上人、後6巻が他阿の事績に当てられている。
1237(嘉禎 3)
1319(文保 3. 1.28)
◇鎌倉時代の時宗(ジシュウ)の僧・時宗第二祖(遊行派<ユギョウハ>の開祖)・歌人。俗姓は源氏、別名は心阿、法号は真教房蓮阿のち他阿弥陀仏(他阿)。京都の人。
はじめ浄土宗の僧であったが、1277(建治 3)一遍の門下となり、一遍に従って諸国を遊行。
1289(正応 2)師の没後も教化事業を継承して宗門をまとめ民衆を教化。兵庫(神戸市)の真光寺(シンコウジ)を大道場にし、京都(下京区)に金光寺(コンコウジ)、藤沢に無量寺など多くの寺院を建立、二祖遊行上人と呼ばれる。
1303年、相模の当麻金光院に道場を営み、智得に遊行を譲って同寺で死去。
和讃(ワサン)『往生讃』や『他阿上人法語』など法語・家集がある。
(*)1303(乾元 2,嘉元元)。
◎『絵詞伝』は前4巻が一遍上人、後6巻が他阿の事績に当てられている。
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│た行