とりい もとただ《とりゐ もとただ》とりい りゅうぞう《とりゐ りゆうざう》

2006年01月08日

とりい ようぞう《とりゐ えうざう》

鳥居 耀蔵
1796.12.22(寛政8.11.24)
1873.10. 3(明治 6)

◇江戸幕末の幕臣。名は忠耀(タダテル)、号は胖庵、通称は甲斐守。林述斎の次子、母は側室前原八耀。旗本鳥居一学の養嗣子。
 1837(天保 8)目付となり、大塩平八郎の処理・蛮社の獄で洋学を弾圧などを行う。老中水野忠邦の信任を得て、1841(天保12)江戸町奉行。1843(天保14)印旛沼の開墾を担当、勘定奉行勝手方。1844年、失脚して丸亀藩に預けられ、明治維新後に釈放。
(*)1804(享和 4,文化元)、1844(天保15,弘化元)。
(2)生年は1815(文化12)、没年は1874(明治7)。林述斎の次男。
(6)生年は1804、没年は1874。林述斎の次子。
(19)生没年は(1796~1873)。林述斎の三男。
(23)生年は寛政8.11.24(1796.12.22)、没年は明治6(1873).10.3。
 林述斎の第7子。
◎渋川六蔵・後藤三右衛門とともに水野の三羽烏と呼ばれる。
 取締の厳しさから、妖怪(耀甲斐)と恐れられる。
◆墓は東京都文京区本駒込3丁目の吉祥寺。墓誌による没日は明治六年十月三日歿七十八歳。

at 15:36│ た行 
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