のむら ひでおのむら ほうてい

2006年01月08日

のむら ふみお

野村 文夫
1836(天保 7)
1891.10.27(明治24)

◇新聞記者。名は虎吉のち文機、号は雨荘・簾雨。芸州広島生れ。
 7歳の時に芸州藩医の村田文尚の養子となる。1855(安政 2)緒方洪庵の適々斎塾に入門。1865(慶応元)英国に脱出、1868(明治元)帰国。1869(明治 2)『西洋見聞録』刊行。1870(明治 3)から民部省・工部省・内務省に出仕、内務卿の大久保利通と大喧嘩をして1877. 1.15(明治10)退官。
 この年 2.25団々社を設立、 3.14「團團珍聞(マルマルチンブン)」(週刊)を創刊、1878(明治11)「驥尾団子」を創刊。スタッフを野村一族と同郷人でかためていたが、1897. 4.(明治30)経営権が野村一族の団々社から珍聞館に移り、しだいに「東京パック」などの新興雑誌に押され1907(明治40)終刊。
 1877(明治10.11.)妻と離婚し、野村姓に戻る。1882(明治15)改進党に入党。
 癌(ガン)で死去。

at 15:36│ な行 
のむら ひでおのむら ほうてい