2006年01月08日
のろ かいせき
野呂 介石
1747(延享 4)
1828(文政11)
◇江戸後期の南画家。名は隆、字(アザナ)は松齢・隆年、号は初め班石のち介石・矮梅居(ワイバイキョ)・四碧斎・十友・第五隆。紀伊の人。
医師の家に生れ、10歳のころ伊藤蘭嵎(ラングウ)に儒学を学ぶ。
21歳のとき池大雅(イケ・タイガ)に入門するが、画風の影響をほとんど受けなかった。
47歳で紀伊藩御用絵師。銅山方なども歴任。
◎長町竹石(ナガマチ・チクセキ)・僧愛石とともに「三石」と称される。
1747(延享 4)
1828(文政11)
◇江戸後期の南画家。名は隆、字(アザナ)は松齢・隆年、号は初め班石のち介石・矮梅居(ワイバイキョ)・四碧斎・十友・第五隆。紀伊の人。
医師の家に生れ、10歳のころ伊藤蘭嵎(ラングウ)に儒学を学ぶ。
21歳のとき池大雅(イケ・タイガ)に入門するが、画風の影響をほとんど受けなかった。
47歳で紀伊藩御用絵師。銅山方なども歴任。
◎長町竹石(ナガマチ・チクセキ)・僧愛石とともに「三石」と称される。
at 15:36│
│な行