ほんだ まさきほんだ まさのぶ

2006年01月08日

ほんだ まさずみ

本多 正純
1565(永禄 8)
1637(寛永14. 3.)

◇江戸初期の大名・徳川家康の家臣。通称は八郎、上野介。宇都宮城主。本多正信(マサノブ)の子。
 1601(慶長 6)従五位下上野介。日光東照宮造営奉行。
 1619(元和 5)下野国宇都宮15万5千石。
 1622(元和 8)第2代将軍徳川秀忠(ヒデタダ)の勘気を受けて出羽(秋田県)由利(ユリ)5万5千石に移封を辞退、翌年出羽国大沢1千石。のち秋田藩佐竹氏に預けられ横手に配流、同地で没。
◎秀忠が日光東照宮参拝の帰り立ち寄るはずだった宇都宮城に釣り天井があるとして改易を受けたものだが、秀忠側近の井上正就(マサナリ)らが城中を調べたが怪しい点は発見されなかった。

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