2006年01月08日
ほんだ まさのぶ
本多 正信
1538(天文 7)
1616(元和 2. 4.17)
◇江戸初期の大名・徳川家康の重臣。幼名は弥八郎(弥八)のち正保・正行、通称は佐渡守。三河の人。本多俊正の子、正純(マサズミ)の父。本多忠勝と同族。
大久保忠世の斡旋で徳川家康に帰参、家康の関東入りとともに相摸玉縄城主。第2代将軍秀忠に仕え江戸の重臣となる。
『本佐録(ホンサロク)』の著者とされる。
◎徳川家康とは親友のように接したという。
1538(天文 7)
1616(元和 2. 4.17)
◇江戸初期の大名・徳川家康の重臣。幼名は弥八郎(弥八)のち正保・正行、通称は佐渡守。三河の人。本多俊正の子、正純(マサズミ)の父。本多忠勝と同族。
大久保忠世の斡旋で徳川家康に帰参、家康の関東入りとともに相摸玉縄城主。第2代将軍秀忠に仕え江戸の重臣となる。
『本佐録(ホンサロク)』の著者とされる。
◎徳川家康とは親友のように接したという。
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