もんがくもんま はるお

2006年01月08日

もんかん《もんくわん》

文観
1278
1357(<南>正平12,<北>延文 2)

◇鎌倉末期・南北朝時代の真言宗立川流の僧侶。初めは弘真(コウシン)。小野僧正。
 初め天台を、のち奈良で法相・三論を学び、京都伏見の真言宗醍醐寺で密教を修め、仁寛(ニンカン)の創始した立川流を大成。
 金剛寺(現:大阪府河内長野市天野<アマノ>町)の僧となり、後醍醐天皇の帰信を得て、南朝興隆を画策。内供奉を務め、東寺長者となり大僧正に進む。弾劾を受けて失脚し、甲斐国(現:山梨県)に流される。のち後村上天皇の勅命で中央に復帰するが、南朝と運命をともにした。
(*)1278(建治 4,弘安元)。
◎弘法大師の承伝と称して印信・経文などを偽作したとされ、名僧とも妖僧とも言われる。
◎大日如来の四隅にある普賢・文殊・観音・弥勒の四菩薩から自らを文観、妻を普弥と呼び、曼陀羅の絵図を敷いて夫婦で交合し、自分の漏らした精液を練り固めて玉を作り信者に分け与えたという。

at 15:36│ ま行 
もんがくもんま はるお