よどがわ ながはるよどどの

2006年01月08日

よどぎみ

淀君
1567(永禄10)
1615

◇安土桃山時代、豊臣秀吉の側室。別称は淀殿(ヨドドノ)、通称は茶茶(チャチャ)。父は浅井長政(ナガマサ)、母は織田信長の妹お市の方。乳母は大蔵卿局(オオクラキョウノツボネ)で大野修理治長(シュウリ・ハルナガ)とは乳兄妹。
 浅井氏滅亡ののち母が再婚した柴田勝家に養われ、柴田氏滅亡後は秀吉の側室となる。初め山城の淀城に住み、長男鶴松を生むが3歳で死亡。1593(文禄 2)秀頼(ヒデヨリ)を生んでからは伏見城に移る。
 秀吉の死後、秀頼を擁して大坂城に在り、徳川家康に対抗したが大坂の陣(1614~1615)で敗れ、落城の際(夏の陣)、城中で秀頼とともに自刃。
(*)1615(慶長20,元和元)。

at 15:36│ や行 
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