2006年01月08日
わたなべ しこう
渡辺 始興
1683(天和 3)
1755(宝暦 5)
◇江戸中期の画家。名は始興、通称は求馬。京都の人。
もと近衛家煕の家臣で朝廷にも仕えた。
はじめ狩野派を学び、のち尾形光琳の門人となる。絵画などの古典の模写や花鳥の写生によって画技を充実させ、写実を基礎とした装飾風の作品を描く。
立林何ゲイ(タテバヤシ・カゲイ)らとともに光琳派の祖述者として各地に光琳派を発展させ、円山応挙らに影響を与える。
代表作は京都大覚寺の障子腰貼絵『野兎図』・奈良興福院(コンブイン)の『障壁画』・『吉野山図屏風』など。
1683(天和 3)
1755(宝暦 5)
◇江戸中期の画家。名は始興、通称は求馬。京都の人。
もと近衛家煕の家臣で朝廷にも仕えた。
はじめ狩野派を学び、のち尾形光琳の門人となる。絵画などの古典の模写や花鳥の写生によって画技を充実させ、写実を基礎とした装飾風の作品を描く。
立林何ゲイ(タテバヤシ・カゲイ)らとともに光琳派の祖述者として各地に光琳派を発展させ、円山応挙らに影響を与える。
代表作は京都大覚寺の障子腰貼絵『野兎図』・奈良興福院(コンブイン)の『障壁画』・『吉野山図屏風』など。
at 15:36│
│わ行