あ行

2006年01月08日

恩納 なべ
生年不詳
没年不詳

◇江戸中期の女流歌人。琉球の国頭恩納間切生れ。琉球の万葉歌人といわれる。「うんな なぴー」とも呼ぶ。

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遠地 輝武
1901. 4.21(明治34)
1967. 6.14(昭和42)

◇詩人・美術評論家。本名は木村重夫、別の筆名は本地輝武・本地正輝。兵庫県姫路市生れ。木村好子(ヨシコ)の夫。
 県立姫路中学校中退、1923(大正12)日本美術学校西洋画科卒業。
(5)誕生日は 4.21。
(13)誕生日は 7.21。
(21)誕生日は 4.21。

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恩地 孝四郎
1891. 7. 2(明治24)
1955. 6. 3(昭和30)

◇版画家・画家・装幀家・詩人。東京生れ。
 1909(明治42)東京赤坂溜池の白馬会洋画研究所に通い、1910(明治43)東京美術学校(現:東京芸術大学)西洋画科予備科に入学、1915(大正 4)中退。

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恩田 正一
1907. 7.25(明治40)
1989. 8.20(平成元)

◇渡良瀬川鉱毒根絶規制同盟会初代会長。群馬県生れ。法政大学卒業。
 古河鉱業足尾銅山から排出される鉱毒を廃絶するため、1958(昭和33)渡良瀬川鉱毒根絶規制同盟会が結成され初代会長に就任、1962(昭和37)辞任。

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尾張 穂草
1892. 1. 2(明治25)
1973. 4.20(昭和48)

◇歌人。本名は真之介。

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折竹 蓼峰
1884. 1.11(明治17)
1950. 1.13(昭和25)

◇翻訳家・フランス語学者。本名は錫(タマウ)、別号は「R・T・O」・多音祐。

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折口 春洋
1907. 2.28(明治40)
1945. 3.19(昭和20)

◇歌人。旧姓は藤井。釈迢空(折口信夫)の養嗣子、1944. 7.(昭和19)応召中に入籍。陸軍中尉として硫黄島で玉砕。

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折口 信夫
1887. 2.11(明治20)
1953. 9. 3(昭和28)

◇国文学者・民俗学者・歌人。筆名は釈迢空。大阪府西成郡木津村市場筋生れ。生涯独身。
 1910(明治43)国学院大学卒業。柳田国男に師事して日本民俗学の開拓に努め、民俗学的研究を国文学に導入、芸能史でも新境地を開く。
 1917(大正 6)「アララギ」同人。1922(大正11)国学院大学教授、1928(昭和 3)慶応義塾大学教授。1932(昭和 7)文学博士。1934(昭和 9)日本民俗協会成立、幹事となる。1943. 4.(昭和18)大日本芸能学会発足、初代会長となる。
 藤井(折口)春洋(ハルミ)の養父。
(1)釈 迢空(しゃくのちょうくう)、本名折口信夫(オリクチ・シノブ)。
(3)釈 迢空(しゃく ちょうくう)。
(5)折口 信夫(おりくち しのぶ)、筆名釈迢空(チョウクウ)。
(6)折口 信夫(おりくち しのぶ)、号は釈迢空。
(8)折口 信夫(おりくち しのぶ)、別名は釈迢空(シャクノチョウクウ)。信夫は自身はシノブと称したが幼時はノブオであったという。
(11)折口 信夫(おりくち しのぶ)、筆名釈迢空(シャクチョウクウ)。
(13)釈 迢空(しゃく ちょうくう)。
(16)折口 信夫(おりぐち しのぶ)、雅号は釈迢空。
(21)折口 信夫(おりくち しのぶ)、筆名釈迢空(シャクチョウクウ)。
(26)折口 信夫(おりくち しのぶ)。歌人としての名は釈迢空(シャクチョウクウ)。大正九年(一九二〇)国学院大学専任講師、翌年教授。
◆迢空忌[ 9. 3]。

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折井 愚哉
1871(明治 4. 2.24)
1934. 9.21(昭和 9)

◇俳人・画家。本名は太一郎、別号は無筆堂・石兆・梁岳・梁溪・雲水坊。

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小山田 与清

⇒たかだ ともきよ(高田 与清)

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