さ行
2006年01月08日
衣通郎姫
生年不詳
没年不詳
◇5世紀中葉の允恭(インギョウ)天皇の妃。衣通姫(ソトオリヒメ)とも呼ぶ。名は藤原之琴節郎姫(フジワラノコトフシノイラツメ)・弟姫。稚渟毛二岐皇子(応神天皇の子)の王女、皇后忍坂大中媛(オサカノオオナカツヒメ)の妹。
允恭天皇が宮殿の新築祝いの宴を催したとき、皇后は舞いのあと、当時の風習により弟姫を献じる。その容姿の美しさが衣を通して照り輝いたので衣通郎姫と呼ばれる。
近江国の坂田に母と住まい、天皇の度々の召にも姉の皇后の嫉妬をおそれて参向せず、舎人中臣烏賊使主が使者として赴(オモム)き、ようやく都に上る。
天皇は皇后に憚(ハバカ)り姫を河内の茅渟宮(ヌチノミヤ)に住まわせ、のち大和の藤原に移る。姫には子がなく、姫の名を後世に伝えるため、諸国に藤原部を定める。
◆和歌の玉の浦の津島神社に祀られる。
生年不詳
没年不詳
◇5世紀中葉の允恭(インギョウ)天皇の妃。衣通姫(ソトオリヒメ)とも呼ぶ。名は藤原之琴節郎姫(フジワラノコトフシノイラツメ)・弟姫。稚渟毛二岐皇子(応神天皇の子)の王女、皇后忍坂大中媛(オサカノオオナカツヒメ)の妹。
允恭天皇が宮殿の新築祝いの宴を催したとき、皇后は舞いのあと、当時の風習により弟姫を献じる。その容姿の美しさが衣を通して照り輝いたので衣通郎姫と呼ばれる。
近江国の坂田に母と住まい、天皇の度々の召にも姉の皇后の嫉妬をおそれて参向せず、舎人中臣烏賊使主が使者として赴(オモム)き、ようやく都に上る。
天皇は皇后に憚(ハバカ)り姫を河内の茅渟宮(ヌチノミヤ)に住まわせ、のち大和の藤原に移る。姫には子がなく、姫の名を後世に伝えるため、諸国に藤原部を定める。
◆和歌の玉の浦の津島神社に祀られる。
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