た行

2006年01月08日

止利仏師

⇒くらつくりのとり(鞍作 止利)

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鳥海 昭子
1929(昭和 4)
2005.10. 9(平成17)

◇歌人。本名は中込昭子(ナカゴメ・アキコ)。山形県生れ。
 1955(昭和30)国学院大学卒業。
 1985(昭和60)歌集『花いちもんめ』で現代歌人協会賞を受賞。
 1992(平成 4)東京都文化功労賞を受賞。
 心不全で死去。

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鳥潟 隆三
1878(明治11)
1952(昭和27)

◇血清細菌学の先駆者。秋田県大館町(大館市)生れ。

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鳥潟 小三吉
1842. 5.19(天保13. 4.10)
1909.10.15(明治42)

◇江戸幕末・明治時代の軽業師。出羽国花岡村(秋田県大館市)生れ。
 ドイツ皇帝に招かれる。

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鳥潟 右一
1883. 4.25(明治16)
1923. 6. 5(大正12)

◇明治・大正時代の電気学者。秋田県大館町(大館市)生れ。
 東京帝国大学電気工学科を卒業。
 逓信技師として無線電信を研究。火花方式による無線電話を発明、世界的に有名になる。鉱石検波器を発明。電気試験所長。

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鳥尾 小弥太
1847(弘化 4)
1905. 4.14(明治38)

◇明治期の軍人(陸軍中将)・政治家。号は得庵。長州藩士中村敬義の長男。
 戊辰戦争では鳥尾隊を組織。
 軍務局長・大阪鎮台司令長官・近衛都督・貴族院議員・枢密顧問官。
 晩年は統一学舎を創設して青年教育に当る。

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鳥居 竜蔵
1870(明治 3)
1953(昭和28)

◇人類学者・考古学者。徳島市生れ。
 東京大学人類学教室主任、1921(大正10)助教授。
 1939(昭和14)北京の燕京大学に招かれ、千島・樺太・沿海州・満州・朝鮮などを調査。
 正規の大学教育を受けていなかったため、当時の評価は低かった。

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鳥居 耀蔵
1796.12.22(寛政8.11.24)
1873.10. 3(明治 6)

◇江戸幕末の幕臣。名は忠耀(タダテル)、号は胖庵、通称は甲斐守。林述斎の次子、母は側室前原八耀。旗本鳥居一学の養嗣子。
 1837(天保 8)目付となり、大塩平八郎の処理・蛮社の獄で洋学を弾圧などを行う。老中水野忠邦の信任を得て、1841(天保12)江戸町奉行。1843(天保14)印旛沼の開墾を担当、勘定奉行勝手方。1844年、失脚して丸亀藩に預けられ、明治維新後に釈放。
(*)1804(享和 4,文化元)、1844(天保15,弘化元)。
(2)生年は1815(文化12)、没年は1874(明治7)。林述斎の次男。
(6)生年は1804、没年は1874。林述斎の次子。
(19)生没年は(1796~1873)。林述斎の三男。
(23)生年は寛政8.11.24(1796.12.22)、没年は明治6(1873).10.3。
 林述斎の第7子。
◎渋川六蔵・後藤三右衛門とともに水野の三羽烏と呼ばれる。
 取締の厳しさから、妖怪(耀甲斐)と恐れられる。
◆墓は東京都文京区本駒込3丁目の吉祥寺。墓誌による没日は明治六年十月三日歿七十八歳。

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鳥居 元忠
1539(天文 8)
1600(慶長 5)

◇安土桃山時代の武将。通称は彦右衛門。忠吉の子。
 徳川譜代の家臣で家康に仕え、姉川・三方ヶ原・長篠などの戦に功を立てる。本能寺の変後、甲斐国都留郡を与えられる。小田原の役で武蔵国岩槻城の攻略に活躍。
 家康が関東に転封する際、下総国矢作4万石を与えられる。
 関ヶ原戦で家康の上杉景勝征伐に当り、伏見城に留守し籠城、石田方に囲まれて自刃。

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鳥居 忱
1855(安政 2. 5. 4)
1917(大正 6)

◇作詞家。

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