な行
2006年01月08日
野呂 元丈
1693(元禄 6)
1761(宝暦11)
◇江戸中期の本草学者。名は実夫、通称は源次、字は元丈、号は連山。伊勢の人。野呂三省の養子、本姓は高橋。
医学を山脇玄修(道立)に学ぶかたわら、稲生若水(イノウ・ジャクスイ,のち稲<トウ>と改姓)に本草学を学ぶ。
1720(享保 5)幕命により丹羽正伯(ニワ・セイハク)と諸国を旅行し採薬。
1739(元文 4)幕府の御目見医師となり、翌年青木昆陽(コンヨウ)とともにオランダ語を学ぶ。
江戸参府したオランダ商館員の蘭医ムスクルスの協力を得てR.ドドネウス著の本草書を解読、1744(延享元)ころ『阿蘭陀本草和解(オランダホンゾウワゲ)』(12巻)を著した。
1693(元禄 6)
1761(宝暦11)
◇江戸中期の本草学者。名は実夫、通称は源次、字は元丈、号は連山。伊勢の人。野呂三省の養子、本姓は高橋。
医学を山脇玄修(道立)に学ぶかたわら、稲生若水(イノウ・ジャクスイ,のち稲<トウ>と改姓)に本草学を学ぶ。
1720(享保 5)幕命により丹羽正伯(ニワ・セイハク)と諸国を旅行し採薬。
1739(元文 4)幕府の御目見医師となり、翌年青木昆陽(コンヨウ)とともにオランダ語を学ぶ。
江戸参府したオランダ商館員の蘭医ムスクルスの協力を得てR.ドドネウス著の本草書を解読、1744(延享元)ころ『阿蘭陀本草和解(オランダホンゾウワゲ)』(12巻)を著した。
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野呂 邦暢
1937. 9.20(昭和12)
1980. 5. 7(昭和55)
◇小説家。本名は納所(ノウショ)邦暢。長崎県諫早市(イサハヤシ)生れ。
県立諫早高等学校卒業。
上京しそば屋店員・ガソリンスタンド店員などを経(ヘ)て、陸上自衛隊に1年間入隊。
1965(昭和40)『ある男の故郷』で第21回「文学界」新人賞佳作に入選。
1973(昭和48)自衛隊の体験を書いた『草のつるぎ』で第70回芥川賞、受賞。
季刊「邪馬台(ヤマタイ)」を刊行。
作品は1967(昭和42)『白桃』・1973(昭和48)『十一月、水晶』・1973(昭和48)『鳥たちの河口』・1975(昭和50)『一滴の夏』・1976(昭和51)『諫早菖蒲日記』・1978~1980(昭和53~昭和55)『丘の火』・1979(昭和54)『落城記』、1980(昭和55)エッセイ『王国、そして地図』など。
◆菖蒲忌[5月最終日曜日]:諫早市宇都町(ウヅマチ)上山公園の野呂文学碑前。
1937. 9.20(昭和12)
1980. 5. 7(昭和55)
◇小説家。本名は納所(ノウショ)邦暢。長崎県諫早市(イサハヤシ)生れ。
県立諫早高等学校卒業。
上京しそば屋店員・ガソリンスタンド店員などを経(ヘ)て、陸上自衛隊に1年間入隊。
1965(昭和40)『ある男の故郷』で第21回「文学界」新人賞佳作に入選。
1973(昭和48)自衛隊の体験を書いた『草のつるぎ』で第70回芥川賞、受賞。
季刊「邪馬台(ヤマタイ)」を刊行。
作品は1967(昭和42)『白桃』・1973(昭和48)『十一月、水晶』・1973(昭和48)『鳥たちの河口』・1975(昭和50)『一滴の夏』・1976(昭和51)『諫早菖蒲日記』・1978~1980(昭和53~昭和55)『丘の火』・1979(昭和54)『落城記』、1980(昭和55)エッセイ『王国、そして地図』など。
◆菖蒲忌[5月最終日曜日]:諫早市宇都町(ウヅマチ)上山公園の野呂文学碑前。
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野呂 栄太郎
1900(明治33)
1934. 2.19(昭和 9)
◇昭和初期の経済学者・革命運動家。北海道生れ。
慶応義塾大学理財科に在学中、野坂参三(サンゾウ)の産業労働調査所に入る。1927(昭和 2)卒論は『日本資本主義発達史』。
1929. 4.16(昭和 4)四・一六事件で検挙され、約1ヶ月豊多摩刑務所に留置。
1930. 1.(昭和 5)日本共産党に入党。1932(昭和 7)『日本資本主義発達史講座』の編集にあたり、講座派の中心となるが、同年10月に共産党が大検挙を受け、地下活動に入る。共産党の中央部再建に奔走中、1933.11.28(昭和 8)特高に逮捕され、たらい回しされ、品川警察署で拷問を受け、品川病院で絶命。
著書は1927. 1.(昭和 2)『日本資本主義前史』など。
(2)'34年2月19日品川警察の拷問のため品川病院で絶命した。
(4)昭和八年検挙され、獄死。
(6)33年末検挙,翌年獄死。
(16)没日は1934(昭和 9. 9.21)。'33年11月逮捕され,翌年2月品川警察署で虐殺された.
1900(明治33)
1934. 2.19(昭和 9)
◇昭和初期の経済学者・革命運動家。北海道生れ。
慶応義塾大学理財科に在学中、野坂参三(サンゾウ)の産業労働調査所に入る。1927(昭和 2)卒論は『日本資本主義発達史』。
1929. 4.16(昭和 4)四・一六事件で検挙され、約1ヶ月豊多摩刑務所に留置。
1930. 1.(昭和 5)日本共産党に入党。1932(昭和 7)『日本資本主義発達史講座』の編集にあたり、講座派の中心となるが、同年10月に共産党が大検挙を受け、地下活動に入る。共産党の中央部再建に奔走中、1933.11.28(昭和 8)特高に逮捕され、たらい回しされ、品川警察署で拷問を受け、品川病院で絶命。
著書は1927. 1.(昭和 2)『日本資本主義前史』など。
(2)'34年2月19日品川警察の拷問のため品川病院で絶命した。
(4)昭和八年検挙され、獄死。
(6)33年末検挙,翌年獄死。
(16)没日は1934(昭和 9. 9.21)。'33年11月逮捕され,翌年2月品川警察署で虐殺された.
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野村 芳太郎
1919. 4.23(大正 8)
2005. 4. 8(平成17)
◇映画監督。京都生れ。野村芳亭(ホウテイ)の長男。
慶應義塾大学、卒業。
1941(昭和16)松竹大船撮影所に入所。
1952(昭和27)『鳩』で初監督。
作品は『ゼロの焦点』・『張込み』・『砂の器』・『八つ墓村』など。
1919. 4.23(大正 8)
2005. 4. 8(平成17)
◇映画監督。京都生れ。野村芳亭(ホウテイ)の長男。
慶應義塾大学、卒業。
1941(昭和16)松竹大船撮影所に入所。
1952(昭和27)『鳩』で初監督。
作品は『ゼロの焦点』・『張込み』・『砂の器』・『八つ墓村』など。
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