な行
2006年01月08日
野村 望東尼
1806(文化 3. 9. 5)
1867(慶応 3.11.13)
◇江戸末期の女流歌人・勤王家。本名はもと、号は招月・向陵。福岡藩士浦野勝幸の三女。
福岡藩士郡氏に嫁するが離縁。
のち、福岡藩士野村貞貫(利三郎)の後妻。夫ともに和歌・書を大隈言道(オオクマ・コトミチ)に学ぶ。
夫に死別後、剃髪して望東尼と称する。
勤王思想をもち、高杉晋作・平野国臣(クニオミ)・西郷隆盛らと交友し、1865(慶応元)藩により玄界灘姫島に流罪。
のち、高杉らに救出され、三田尻(ミタジリ)(山口県防府市)の荒瀬致和の家に身を寄せ、同所で没。
著書は『上京日記』・『姫島日記』・『防州日記』・『夢かぞへ』、家集『向陵集』など。
1806(文化 3. 9. 5)
1867(慶応 3.11.13)
◇江戸末期の女流歌人・勤王家。本名はもと、号は招月・向陵。福岡藩士浦野勝幸の三女。
福岡藩士郡氏に嫁するが離縁。
のち、福岡藩士野村貞貫(利三郎)の後妻。夫ともに和歌・書を大隈言道(オオクマ・コトミチ)に学ぶ。
夫に死別後、剃髪して望東尼と称する。
勤王思想をもち、高杉晋作・平野国臣(クニオミ)・西郷隆盛らと交友し、1865(慶応元)藩により玄界灘姫島に流罪。
のち、高杉らに救出され、三田尻(ミタジリ)(山口県防府市)の荒瀬致和の家に身を寄せ、同所で没。
著書は『上京日記』・『姫島日記』・『防州日記』・『夢かぞへ』、家集『向陵集』など。
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野村 文夫
1836(天保 7)
1891.10.27(明治24)
◇新聞記者。名は虎吉のち文機、号は雨荘・簾雨。芸州広島生れ。
7歳の時に芸州藩医の村田文尚の養子となる。1855(安政 2)緒方洪庵の適々斎塾に入門。1865(慶応元)英国に脱出、1868(明治元)帰国。1869(明治 2)『西洋見聞録』刊行。1870(明治 3)から民部省・工部省・内務省に出仕、内務卿の大久保利通と大喧嘩をして1877. 1.15(明治10)退官。
この年 2.25団々社を設立、 3.14「團團珍聞(マルマルチンブン)」(週刊)を創刊、1878(明治11)「驥尾団子」を創刊。スタッフを野村一族と同郷人でかためていたが、1897. 4.(明治30)経営権が野村一族の団々社から珍聞館に移り、しだいに「東京パック」などの新興雑誌に押され1907(明治40)終刊。
1877(明治10.11.)妻と離婚し、野村姓に戻る。1882(明治15)改進党に入党。
癌(ガン)で死去。
1836(天保 7)
1891.10.27(明治24)
◇新聞記者。名は虎吉のち文機、号は雨荘・簾雨。芸州広島生れ。
7歳の時に芸州藩医の村田文尚の養子となる。1855(安政 2)緒方洪庵の適々斎塾に入門。1865(慶応元)英国に脱出、1868(明治元)帰国。1869(明治 2)『西洋見聞録』刊行。1870(明治 3)から民部省・工部省・内務省に出仕、内務卿の大久保利通と大喧嘩をして1877. 1.15(明治10)退官。
この年 2.25団々社を設立、 3.14「團團珍聞(マルマルチンブン)」(週刊)を創刊、1878(明治11)「驥尾団子」を創刊。スタッフを野村一族と同郷人でかためていたが、1897. 4.(明治30)経営権が野村一族の団々社から珍聞館に移り、しだいに「東京パック」などの新興雑誌に押され1907(明治40)終刊。
1877(明治10.11.)妻と離婚し、野村姓に戻る。1882(明治15)改進党に入党。
癌(ガン)で死去。
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野村 徳七
1878. 8. 7(明治11)
1945(昭和20)
◇実業家・野村證券の創始者。通称は信之助。大阪生れ。
仲買店の見習。
1904(明治37)家業の小さな両替商を継ぐ。
1906(明治39)株式現物取引店の大阪屋商店を開業。日露戦争後の株式ブームで巨利を得る。
1918(大正 7)大阪野村銀行(のち大和銀行)、設立。
1925(大正14)大阪野村銀行の証券部を野村證券として独立。
1922(大正11)野村合名会社、設立。
のち、野村財閥を形成し、関西経済の重鎮となる。
1928(昭和 3)貴族院議員に勅選。
1943(昭和18)大阪屋商店、大阪屋証券(のちコスモ証券)となる。
1878. 8. 7(明治11)
1945(昭和20)
◇実業家・野村證券の創始者。通称は信之助。大阪生れ。
仲買店の見習。
1904(明治37)家業の小さな両替商を継ぐ。
1906(明治39)株式現物取引店の大阪屋商店を開業。日露戦争後の株式ブームで巨利を得る。
1918(大正 7)大阪野村銀行(のち大和銀行)、設立。
1925(大正14)大阪野村銀行の証券部を野村證券として独立。
1922(大正11)野村合名会社、設立。
のち、野村財閥を形成し、関西経済の重鎮となる。
1928(昭和 3)貴族院議員に勅選。
1943(昭和18)大阪屋商店、大阪屋証券(のちコスモ証券)となる。
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