な行

2006年01月08日

昇 曙夢
1878. 7.17(明治11)
1958.11.22(昭和33)

◇明治~昭和期の翻訳家・ロシア文学者。本名は直隆(ナオタカ)。鹿児島県奄美大島生れ。1903(明治36)東京ニコライ正教神学校卒業。同校教師を経て、1917(大正 6)陸軍士官学校教授。
 1904(明治37)評伝『露国文豪ゴーゴリ』を出版。
(1)没日は11.22。
(2)昇 曙夢(のぼる しょむ)。
(3)没日は11.12。
(5)昇 曙夢(のぼり しょむ)、没日は11.22。
(10)昇 曙夢(のぼり しょむ)、没日は11.12。
(11)昇 曙夢(のぼる しょむ)、没日は11.22。
(13)昇 曙夢(のぼる しょむ)、没日は11.22。

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野辺地 天馬
1885. 1. 7(明治18)
1965. 4.24(昭和40)

◇児童文学者・口演童話家。本名は三右衛門。

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宣仁 親王

⇒たかまつのみや のぶひと(高松宮 宣仁)

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野淵 昶
1896. 7. 7(明治29)
1968. 2. 1(昭和43)

◇演出家・映画監督。

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信家
生年不詳
没年不詳

◇安土桃山時代の鐔工(タンコウ)。
 鉄の板鐔に毛彫りを施したものが多い。
◎金家(カネイエ)とともに鐔工の双璧、金家・明寿(ミョウジュ)とともに鐔(ツバ)の三作と称せられる。
◎甲冑師(カッチュウシ)の明珍信家とは別人とみなされる。

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野々村 仁清
生年不詳
没年不詳

◇江戸前期の陶工。通称は壺屋清右衛門(セイエモン)(一説に清兵衛)。「仁清」は仁和寺(ニンナジ)の門跡から「仁」の字を賜り、号としたもの。丹波国南桑田郡野々村の生れ。
 京都に出て仁和寺前などに窯(カマ)を築き、色絵陶器を創世して京焼きに新生面を開く。

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野宮 定基
1669(寛文 9)
1711

◇江戸中期の公家・国学者。初名は中院親茂、号は松堂。内大臣中院通茂の第2子。
 叔父の野宮定縁の跡を継ぎ、定基と改名。
(*)1711(宝永 8,正徳元)。

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野々口 立圃
1595(文禄 4)
1669(寛文 9. 9.30)

◇江戸前期の俳諧師。名は親重(チカシゲ)、別号は松斎・如入斎、家号は雛屋立圃(雛人形)。京都の人。
 松永貞徳の高弟。

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野々口 隆正

⇒おおくに たかまさ(大国 隆正)

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野長瀬 正夫
1906. 2. 8(明治39)
1984. 4.22(昭和59)

◇詩人。

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