ま行

2006年01月08日

森谷 均
1897. 6. 2(明治30)
1969. 3.29(昭和44)

◇出版業者。1934(昭和 9)昭森社を創業。

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森本 治吉
1900. 1.10(明治33)
1977. 1.12(昭和52)

◇歌人・国文学者。

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森本 厚吉
1877. 3.20(明治10)
1950. 1.31(昭和25)

◇評論家。旧姓は増山。
(10)誕生日は 3. 2。

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森本 薫
1912. 6. 4(明治45)
1946.10. 6(昭和21)

◇劇作家。大阪市生れ。
 第三高等学校を経て、1937(昭和12)京都大学英文科卒業。結核により夭折。

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森村 桂
1940. 1. 3(昭和15)
2004. 9.27(平成16)

◇作家。本名は三宅桂。東京生れ。夫は三宅一郎。
 学習院大学を卒業。
 出版社「暮しの手帖社」に勤務。
 退社後、1964(昭和39)ニューカレドニア島などを旅行。
 1985(昭和60)長野県北佐久郡(キタサクグン)軽井沢町(カルイザワマチ)に手作り菓子店「アリスの丘」を開店。
 作品は1966(昭和41)『天国にいちばん近い島』・『違っているかしら』・『結婚志願』など。

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護良 親王
1308
1335(<南>建武 2,<北>建武 2. 7.23)

◇南北朝時代の皇族武将。後醍醐天皇の皇子。母は源師親の娘親子。初め出家し尊雲法親王(ソンウンホウシンノウ)と称し、世に大塔宮(オオトウノミヤ,ダイトウノミヤ)という。
 1325(正中 2)討幕のため有力神社との結び付きを図る後醍醐天皇の意を受けて、延暦寺梶井門主を継ぎ大塔に入室。1326年、梨本門跡・大僧都となる。1327(嘉暦 2)天台座主となり、関東(鎌倉幕府)調伏(チョウブク)の祈祷を盛んに行う。1329年、座主を辞す。
 1331(元弘元)後醍醐天皇が笠置山(カサギヤマ)で挙兵し、元弘の変が起こると僧兵をひきいて六波羅探題の兵と戦い、のち楠木正成(マサシゲ)の河内国赤坂城に入る。1332(<南>元弘 2,<北>正慶元)討幕を計り還俗(ゲンゾク)し護良と改め吉野に挙兵。1333(<南>元弘 3,<北>正慶 2)幕軍の足利尊氏が反旗をひるがえして六波羅探題を攻略、新田義貞(ニッタ・ヨシサダ)が鎌倉の北条高時ら北条氏を滅ぼし、建武の中興が招来する。建武新政府では征夷大将軍・兵部卿に任ぜられたが、足利尊氏(タカウジ)と反目し常盤井殿に幽閉、1334年鎌倉に流され、尊氏の弟直義(タダヨシ)に預けられ二階堂千ヶ谷東光寺に幽閉。
 1335(<南>建武 2,<北>建武 2. 7.)北条高時の子時行(トキユキ)が鎌倉を攻めた際(中先代<ナカセンダイ>の乱)、直義が使わした淵辺義博(フチノベ・ヨシヒロ)に殺された。
(2)後醍醐天皇の第1皇子。
(16)後醍醐天皇の第3皇子。
(*)1308(徳治 3,延慶元)、1326(正中 3,嘉暦元)、1329(嘉暦 4,元徳元)、1334(<南>元弘 4,<南>建武元,<北>正慶 3,<北>建武元)。
 「もりよし」と読む説もある。

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森近 運平
1881. 1.20(明治14)
1911. 1.24(明治44)

◇明治時代の社会運動家。岡山の人。岡山県立農事講習所卒業。
 岡山県の技手となるが、1904(明治37)週刊「平民新聞」の読者によって岡山市に「いろは倶楽部」をつくり、社会主義者として免職。
 1906(明治39)日本社会党の結成に加わり、マルクス派社会主義者の雑誌「光」の編集者となる。1907. 6.(明治40)創刊の「大阪平民新聞」を主宰。
 1910. 6.(明治43)大逆事件に連座したとして検挙され、大審院特別法廷の非公開裁判で死刑。

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森田 芳夫
1910(明治43)
1990(平成 2)

◇朝鮮史研究者。
 太平洋戦争の戦前は京城で日朝融和団体の「緑旗会」に勤務。
 戦後も韓国に滞在し、在韓日本大使館の参事官・誠信女子大学の日本語教師。

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森田 有秋
1882. 3. 5(明治15)
1954. 1.28(昭和29)

◇評論家。本名は文治、別号は鉄血生・白峰生。岡山県生れ、八歳で東京に移る。東京専門学校(現:早稲田大学)中退。

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森田 元子
1903. 2.11(明治36)
1969. 8.12(昭和44)

◇画家。東京都生れ。岡田三郎助に師事。

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