や行

2006年01月08日

依田 学海(依田 學海)
1833(天保 4.11.24)
1909.12.27(明治42)

◇漢学者・小説家・演劇評論家・劇作家。本名は朝宗(トモムネ)、通称は七郎、号は百川(ヒャクセン)。下総国佐倉藩士依田貞剛の次男で、江戸の佐倉藩邸に生れる。
 1881(明治14)文部省書記官となり、1885(明治18)退官、正六位に叙された。
 依田秋圃(シュウホ)の叔父。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』の文淵先生のモデル。
(1)依田 学海(よだ がっかい)、誕生日は 1.24、没日は12.27。本名百川。
(2)依田 学海(よだ がくかい)。(名)朝宗,別号を百川(ヒャクセン)。
(3)依田 学海(よだ がっかい)、誕生日は11.24、没日は11.17。通称七郎、名は朝宗、字は後に通称とした百川(ヒャクセン)。
(5)依田 学海(よだ がくかい)、誕生日は11.24、没日は12.17。本名百川(ヒャクセン)、前名朝宗(トモムネ)。
(10)依田 学海(よだ がっかい)、誕生日は11.24、没日は12.27。幼名を幸造、信造といい、のち七郎、右衛門二郎、長じて朝宗とあらためた。最初字を百川と称したがのちこれを本名とし、柳蔭、学海を号とした。
(11)依田 学海(よだ がくかい)、誕生日は 1.24、没日は12.27。本名百川(ヒャクセン)。前名朝宗(トモムネ)。
(13)依田 學海(よだ がつかい)、一一月江戸に生まる。本名百川。

at 15:36|Permalink
吉行 エイスケ
1906. 5.10(明治39)
1940. 7. 8(昭和15)

◇詩人・小説家。本名は栄助。岡山県生れ。岡山一中中退。吉行淳之介・吉行理恵の父。

at 15:36|Permalink
吉屋 信子
1896. 1.12(明治29)
1973. 7.11(昭和48)

◇小説家。新潟県生れ。県立栃木高等女学校卒業。

at 15:36|Permalink
芳村 正秉
1839(天保10)
1915(大正 4)

◇明治時代の宗教家。旧津山藩士。
 明治維新後、神祇官・教部省に仕えて神道界で活躍。
 竜田神宮宮司として神道系・修験道系の講社を結集し神習教を創始。

at 15:36|Permalink
吉村 平吉
1920. 8.30(大正 9)
2005. 3. 1(平成17)

◇風俗作家。東京・赤坂生れ。
 中学3年のころから浅草に入り浸る。
 早稲田大学専門部政経科、卒業。
 榎本健一率いるエノケン一座の文芸部に入団。
 第二次世界大戦後、浅草で劇団空気座を旗揚げ。
 のち、吉原の旧赤線地帯に住み続けて風俗ライターとして活躍。また、大衆演芸を紹介する「浅草ふきよせ乃会」を主宰。
 著書は『実録・エロ事師たち』・『吉原酔狂ぐらし』・『浅草のみだおれ』など。
◎晩年は一人暮らしで、3月6日に死亡しているのが発見され、1日は推定死亡日。

at 15:36|Permalink
吉村 寅太郎
1837(天保 8)
1863(文久 3. 9.26)

◇江戸幕末の尊攘派志士。土佐藩士。名は重郷、「虎太郎」とも。
 武市瑞山(タケチ・ズイザン)の勤王党に参加し、尊王攘夷運動に活躍。
 1863(文久 3. 8.)公卿中山忠光を主将に擁立し大和五条で挙兵し代官所を襲ったが(天誅<テンチュウ>組の乱)、鷲家口(ワシカグチ)の戦いで敗れて自殺。

at 15:36|Permalink
吉村 虎太郎

⇒よしむら とらたろう(吉村 寅太郎)

at 15:36|Permalink
吉村 鉄太郎
1900. 6.20(明治33)
1945. 3.24(昭和20)

◇文芸評論家。本名は片山達吉。松村みね子(片山広子)の息子。

at 15:36|Permalink
吉丸 一昌
1873. 9.15(明治 6)
1916. 3. 7(大正 5)

◇国文学者・唱歌の作詞者。大分県臼杵市生れ。
 1901(明治34)東京帝国大学文科大学国文学科、卒業。
 1908(明治41)東京音楽学校教授、邦楽調査委員を兼任。
 1909~1914(明治42~大正 3)文部省唱歌教科書編纂委員。
 1912~1914(明治45~大正 3)自作の唱歌作詞集『新作唱歌』(全10集・75曲)を出版。
 音楽学校在職中に死去。
 代表作はドイツ民謡『故郷を離るる歌』、唱歌『早春賦』など。

at 15:36|Permalink
吉益 東洞
1702(元禄15)
1773(安永 2)

◇江戸中期の医学者。安芸(広島)の人。
 京都に出て古医方(コイホウ)による医業を営む。のち山脇東洋に認められ有名になる。
 陰陽五行説に基づく医学を排し、病気の内的原因を追及し、実験医学の道を開拓した。

at 15:36|Permalink