ら行
2006年01月08日
蓮如
1415(応永22. 2.25)
1499(明応 8. 3.25)
◇室町中期の浄土真宗の僧。真宗中興の祖。童名は布袋丸、諱(イミナ)は兼寿、諡号(シゴウ)は慧燈大師(明治15年)。京都東山大谷の生れ。本願寺第七代存如(ゾンニョ)の長男、母は祖父巧如の下女、実如の父。
17歳で広橋兼郷の猶子となり、天台宗青蓮院(ショウレンイン)で得度し尊応に学ぶ。父の伴をして親鸞の遺跡を迎拝する。1457(康正 3. 6.18)父が死去し本願寺第八代となる。
1465(寛正 6. 1. 9)比叡山延暦寺の衆徒の襲撃に遭い(寛正の法難)、京都東山大谷の御影堂を追われ近江に逃れる。
1471(文明 3. 7.)越前(福井県)吉崎に赴き、御坊を建てる。1474(文明 6)吉崎坊舎が焼失、1475(文明 7)吉崎を退去し、河内出口に至る。
1480(文明12)京都山科に本願寺御影堂を上棟、1481(文明13)山科本願寺阿弥陀堂を上棟。
1483(文明15. 8.)天台宗から独立。1489年、世代を第8子5男の実如に譲る。
1496(明応 5)大坂に石山本願寺を建立し翌年11月完成。
山科本願寺で死去。
『正信偈(ショウシンゲ)』・『三帖和讃』・『御文(オフミ)』などを刊行、平易な文章と耳に入りやすい言葉で宗義を説いた。『領解文(リョウゲモン)』などを著す。
◆蓮如忌[ 3.25]。
(*)1489(長享 3,延徳元)。
1415(応永22. 2.25)
1499(明応 8. 3.25)
◇室町中期の浄土真宗の僧。真宗中興の祖。童名は布袋丸、諱(イミナ)は兼寿、諡号(シゴウ)は慧燈大師(明治15年)。京都東山大谷の生れ。本願寺第七代存如(ゾンニョ)の長男、母は祖父巧如の下女、実如の父。
17歳で広橋兼郷の猶子となり、天台宗青蓮院(ショウレンイン)で得度し尊応に学ぶ。父の伴をして親鸞の遺跡を迎拝する。1457(康正 3. 6.18)父が死去し本願寺第八代となる。
1465(寛正 6. 1. 9)比叡山延暦寺の衆徒の襲撃に遭い(寛正の法難)、京都東山大谷の御影堂を追われ近江に逃れる。
1471(文明 3. 7.)越前(福井県)吉崎に赴き、御坊を建てる。1474(文明 6)吉崎坊舎が焼失、1475(文明 7)吉崎を退去し、河内出口に至る。
1480(文明12)京都山科に本願寺御影堂を上棟、1481(文明13)山科本願寺阿弥陀堂を上棟。
1483(文明15. 8.)天台宗から独立。1489年、世代を第8子5男の実如に譲る。
1496(明応 5)大坂に石山本願寺を建立し翌年11月完成。
山科本願寺で死去。
『正信偈(ショウシンゲ)』・『三帖和讃』・『御文(オフミ)』などを刊行、平易な文章と耳に入りやすい言葉で宗義を説いた。『領解文(リョウゲモン)』などを著す。
◆蓮如忌[ 3.25]。
(*)1489(長享 3,延徳元)。
at 15:36|Permalink│